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私たちの最大の制限は、望んでいることや
できていないことの中にあるのではありません。
それは「できる」と考えたことのないものの中にあるのです。

リチャード・バンドラー NLPの共同開発・共同創始者

セルフイメージ・自己イメージの

【最大の制限】は見えないしわからない

望みが制限(限界・ブレーキ)を創っているわけでも
できるという考えたことの中にも制限(限界・ブレーキ)が
存在していないとなると・・・

できないと考えていることの中か
できないとさえ考えていないことの中に
最大の制限があるということだろう。

制限の反義語は無制限ですが、言葉の流れから言って
「自由」がしっくりくるように感じます。

最大の制限は不自由であり
自由とは選択することの自由であると考えると

できると考えることの中や、できないと考えることの中や
「できる」と考えたことのないものの中に存在している
ものは 「選択する自由」ではないのか?と考えると合点がいきます。

望みを達成するために存在する無数の選択肢

その無数の選択肢のすべての中から その一部に対して できると考えたり、できないと考えたり
はたまは 選択肢さえ思い浮かばないものが 多数存在している

思い浮かばないから 選ぶことができないといのは
当然としても、逆を言えば 思いつきさえすれば 最大の制限が解除
できることとなる。

選択肢が思い浮かばないとは
無数の選択肢があるのに
過去の記憶にないものは選択肢の中に入らない
自分にとって重要度の低いものや逆に高すぎるものは
見えないということ

選択肢が見える範囲は コンフォートゾーン(現状維持の領域)であり
見えない世界はスコトーマ(自分にとって重要度が低いものは見えない)になっていて
見えない選択肢の中には
現在の自分とはかけ離れた、今の仕事や環境では考えつかない突拍子もない領域には存在しているのかもしれません。

今という世界に様々なコンフォートゾーンを持つ人たちがいて
それぞれのコンフォートゾーンから今という世界を見ていて
それぞれがここ個人が見える世界は、現状維持するために限られた選択肢しか見えていないとしたら

自分が見える世界は、どこまでいっても現状維持するだけの
選択肢の中から選んだ結果の世界でしかないのです。

自分が見える世界を変えたければ
現状維持を破るに必要なコンフォートゾーンを新しく創って
今までとは違う選択肢の中から
今までとは違う選択をすることで
違う結果を世界に反映させるしかないのです。

同じ選択をしていながら違う結果を望む人たちが
多いのが 現実だから

自分の夢や願望を叶えることができない人が多いのは
当然と言えば当然です。

違う結果を望むなら、今までと違う選択をしないと駄目なのですから。

セルフイメージ・自己イメージによって違う結果を出すために【最大の制限の秘密】

現状維持をするために普段行っている選択が
同じ現実をそのまま存続させています。

日常 考えていることの95%は毎日毎日同じ事を考えています。
http://meditationscan.info/noukagaku.html

つまり、考えたことの中から選択しているので
その選択の95%は同じ選択である場合が95%あるということです。

違う考えが浮かんでも、現状維持の選択をする割合が圧倒的に多いはずです。

会社や馴染のお店や場所にいく場合等を考えてみてください。

そこに行くまでの道筋や、そこでやることの数々はいつもと同じ事を
ただ単に繰り返しているだけではないですか?

毎日が同じ事の繰り返し。
これは私たちの日常が習慣化されている結果です。

会社に行くのに、いちいち道順やバスや電車の乗り継ぎを調べなおしたり
しないように。毎日 繰り返される行動は意識しなくても習慣化される
つまり,考えなくて(無意識に)行動することができるようになっています。

この当たり前のことではありますが、ここに私たちにとって
最大の制限の秘密が隠されています。

>最大の制限は不自由であり
>自由とは選択することの自由であると考えると

>できると考えることの中や、できないと考えることの中や
>「できる」と考えたことのないものの中に存在している
>ものは 「選択する自由」ではないのか?

と先の文章で書きました。

選択する自由と95%の意識しないで選択していることの95%の日常と
考えると、5%しか意識して選択することができる自由がない?とも考えられます。

>私たちの最大の制限は・・・・・
>できていないことの中にあるのではありません。

→つまり5%の自由に選択することが出来るものの中にではなく

>それは「できる」と考えたことのないものの中にあるのです。

→95%の意識されていない不自由な選択の中にあるのでは?とも考えられます。

セルフイメージ・自己イメージの最大の制限が意識されていない選択肢の中にある

違う言葉で言うと、95%毎日同じ事を考えていることの中にある

違う言葉で言うと、95%の意識されていない不自由な選択の中にある

つまり、95%意識されていないで毎日繰り返し同じ事を考えているその意識自体が
最大の制限であるのではないか?

なぜなら、選択の自由が5%であるのに対して不自由な選択→意識しないで既に選択済みの不自由な95%あるから。

その95%の不自由でなんともしがたい意識を無意識脳の領域(潜在意識)と言い、5%の意識できる領域を無意識脳(顕在意識)と
いいます。(意識脳・無意識脳とは私が勝手につけた造語です)

最大の制約の中に眠る最高の力

最大の制約が 95%の不自由でなんともしがたい意識を無意識脳の領域(潜在意識)の中に存在するのであれば
無意識脳の領域(潜在意識)を何とかすればよいわけです。

これは巷に良く言われているように、5%の意識できる意識脳(顕在意識)と違い、無意識脳は普段は意識することができないために
コントロールすることが難しい、扱いにくい領域であると言われています。
それ故に、リチャード・バンドラーも最大の制約と言ったのかもしれません。

無意識脳の領域は変化を嫌います。

なぜなら、変化は自分自身を危険にさらすことであり、意識脳・無意識脳共に最大の役目は自分自身を生きながらえさせること、生命の維持が
最大の目的となっており、変化は脳にって脅威であり排除すべき事柄であるが故に、安定を好み95%毎日同じ事を考えているののは
危険がない安全な領域で生活するようになっています。

無意識脳には最高の力(潜在力)があると言われています。

それは自らの命を守るために、発揮されるような場合に、火事場の馬鹿力と言われるような、特別な場面で普段ではとても出すことができない
爆発的な力を出す力を潜在的に秘めています。

無意識は英語で(アンコンシャス)=(意識できない意識)という意味です。

意識することができないがために、気が付くことができない意識ということになります。

自分自身で最高の力を潜在的に持っていながら気が付いていないがために使えないでいる場合が殆どで
宝の持ち腐れ状態に無意識脳はあるといえます。

無意識脳には
既に潜在的に、最高の力がありながら
その最高の力を自由に使える人と、自由に使えない人(無駄に使っている人)がいるというだけです。

セルフイメージ・自己イメージの最高の力を自由に使える人と、自由に使えない(無駄に使っている)人の違い


最大の制約が
95%の不自由でなんともしがたい意識を無意識脳の領域(潜在意識)の中に存在すると先に書きました。

そもそも、最大の制約の由来は、意識できない95%の無意識脳の領域にあるからとも書きました。

それは、ただ単に、意識できないから制約になっているだけではありません。

毎日毎日 自動的に意識しないで繰り返されている95%の思考はパターン化されているため 毎日自動的に意識せずとも繰り返されています。

古い言い回しですが
・・・・・ワンパターンというやつです。

パターン化を別の言葉で言うと、プログラムと言い換えると分かりやすいかもしれません。

毎日 繰り返されているのは、意識できない95%の無意識脳の領域で自動化されて動くプログラムの働きによるものです。

プログラムと聞くと、なんだか コンピューター(パソコン)のように思えるかもしれませんが、プログラム通りに自動的に意識しないで動くという点においては意識できない95%の無意識脳の領域はコンピューター(パソコン)のプログラムの働きに似ています。

パソコンが動いているときに、プログラムが見えないのと同じように
意識できない95%の無意識脳の領域が意識しないで動いている、無意識で行動している点では、とても似たような働きをしています。

ただ、パソコンと違い 人間には個々個人に入っているプログラムに違いがあります。

この個々人に入っているプログラムの違いが、
最高の力を自由に使える人と
自由に使えない(無駄に使っている)人の違いでもあります。

最高の力を自由にとは、思い通りに最高の力を使うことが出来るという意味です。

最高の力を自由に使えないとは、思い通りに最高の力を使うことが出来ないという意味です。

どちらも無意識脳の最高の力を持っていながら、思い通りに最高の力を使うことが
出来る人と、思い通りに最高の力を使うことが出来ない人がいて

その違いは、個々人に入っているプログラムに違いがあるだけだということです。

最大の制限とは
最高の力を有する無意識脳自体ではなく、プログラムを自由に使いこなせるか?
思い通りに最高の力を使いこなすことが出来ているのか?
それとも、出来ていないか?の違いにあると言えます。

セルフイメージ・自己イメージの最高の力がネガティブな思考に使われているとしたら?

最高の力を、自由に使えない(無駄に使っている)人は
ネガティブなプログラムの再生を毎日繰り返しています。

たとえば、止めたいと思っているタバコやお酒や
お菓子やデザートを食べ過ぎてしまうこと。

やめたいとおもっているのに、なかなか止めることができないでいる
頭で(意識脳)では やめなくちゃ とわかっちゃいるけど
やめられない・・・・そんな、生活習慣が幾つかあるはずです。

再度 登場ですが

日常 考えていることの95%は毎日毎日同じ事を考えています。
http://meditationscan.info/noukagaku.html

⇒今日考えたことは昨日も考えていた
研究によれば、人は1日に6万個の物事を考えていて
その95パーセントは前日も前々日も考えていたことである
というデータがあります。

問題なのは、その習慣的な考えの約80パーセントが
ネガティブなものだということ。

つまりほとんどの人は1日に4万5千回
ネガティブでマイナスな考えにとらわれているというのです。

でも、これはある意味 仕方が無いことであると思われます。

なぜなら、脳の一番の役割は自分の命を生きながらえることにあるため
サバイバル・メカニズムとして、マイナスな出来事を記憶して
今後の生き残りのために害になるもの、危険なものを避けよう、排除しよう
とする機能が働くからです。

これを「ネガティビティ・バイアス」といいます。
要するに、生存するための防衛本能の一種ですね。

この「ネガティビティ・バイアス」が過剰に機能しすぎると
ストレスを生み、心身に不健康をもたらすという
本来の目的とは逆の事態が多く起こったりします。

最高の力がネガティブな思考に使われているとしたら
非常にもったいない話です。

心身に不調をきたさないまでも
日常で起こるトラブルや問題の原因の多くは
過去に起こった、嫌な経験や、不快で危険な体験などが
人生を重ねるごとに積み重なって、積もり積もって

約80パーセントがネガティブでマイナスな考え
1日に4万5千回もしてしまうようになったのかもしれません。

最大の制限とは
生存するための防衛本能の一種である、「ネガティビティ・バイアス」が
無意識脳にプログラム化されたものであるのかもしれません。

無意識脳(潜在意識)のプログラムは何によって出来ているのか?

さて、ここまで読んできて 最高の力が制限されているのは
ネガティブなプログラムが80%も無意識脳に占拠されているから

では、どうすればこのネガティブなプログラムを
変更することが可能なのだろうか?

そもそも、ネガティブなプログラムは変更可能なのだろうか?

と 疑問に思われているかもしれません。

その疑問に答えるためには、プログラムがどのように創られるのか?

それを知ることでプログラムを変更することが可能なのかどうかの
答えを知ることができます。

ここでは、プログラムの全体像を理解していただくために
かなり大雑把にザックリと説明します。

プログラムを変更することが可能なのか?

詳細については、後々 ぼちぼちと説明していきますのでお待ちくださいね。

人間のプログラムもコンピューターと同じように

入力と出力によってプログラムが成り立っています。

入力は『刺激』で出力は『反応』となります。

実はこれは中学の理科で習っているはずです。
憶えていますか?

長いですが、大事な所なので下記より抜粋引用します。

・・・・・・(http://rikamato.com/2017/11/17/2_12/より引用)

感覚器官
感覚器官・・・生物が刺激を受け取る為の器官のこと。感覚器官として以下のようなものがある。

目・・・光の刺激を受け取る
耳・・・音の刺激を受け取る
鼻・・・においの刺激を受け取る
舌・・・味の刺激を受け取る
皮膚・・・触覚・温度・痛覚など様々な刺激を受けとる


網膜・・・光の刺激を受け取っている。

光の刺激は次の流れで脳に送られる。

網膜 → 視神経 → 脳


音の刺激は次の流れで脳に送られる。

うずまき管 → 聴神経 → 脳

反射
反射・・・からだを守り、生きていくためのどうしてもなくてはならないからだの反応の仕組みで、脳を介さずにせきずいが命令を送る。

※反射は生まれつきもっている(先天性)。これに対して生まれつきではない(後天性)、
例えば、「赤信号を見て立ち止まる」などは条件反射と呼ばれる。

[反射の例]

熱いものを触ったので思わず手をひっこめた
鼻にほこりが入ったのでくしゃみがおこった
目にゴミが入ったので涙が出た
魚が音のした方向と反対方向に逃げた
食べ物を口の中に入れると、唾液が出た
目の前にボールが飛んできたので目をつむった

[条件反射の例]

運転中、目の前に子どもが飛び出したので急ブレーキを踏んだ
レモンの味を思い浮かべると唾液が出た
蚊にかまれてかゆくなったところをかいた
名前を呼ばれて返事をした
反射の例を選択肢から選ぶ問題はよく出題されるが、誰でも起きるのか、起きないのかを判断基準として選ぶとよい。

ちなみに反射の場合は先ほどの例で挙げた神経の流れとは少し違う。以下に例を示す。

例2.「熱いものを触ったので思わず手をひっこめた」ときの通る神経

熱い!という刺激を皮膚で受け、①の感覚神経を通ってせきずいに向かう
せきずいが「手をひっこめなさい!」という命令を送り、②を通る。
③の運動神経を通って、腕の筋肉を収縮させて、手をひっこめる。
このように脳を通らないことで、思考の時間分がカットされて、手の火傷を最小限に食い止めることができる。

引用元:http://rikamato.com/2017/11/17/2_12/

セルフイメージ・自己イメージは何によってプログラムはできているのか?

これもざっくりと分けていますが

刺激(入力)五感や言葉を通しての体験

反応(出力)感情と過去の記憶

意識脳で刺激(入力)五感や言葉を通しての体験が起こり

無意識脳(出力)で過去の記憶の再生・感情の反応等が起こる

恐怖症を例にとると分かりやすいかもしれない

小さい時に家族で海に行き、波が怖くて泣いているのに、父親に無理やり海面に顔をつけられ
海水を飲み込んでおぼれかけたことにより、水恐怖症となったりするなど

当事者が恐怖症のトラウマとなった原因を覚えていない(抑圧されて記憶に上がらないようにされている場合も多々ある)
場合でも、水を怖がるのは抑圧されて意識脳に上がってこなくても、無意識脳ではしっかりと当時の恐怖がプログラム化されていて、
同じ恐怖を再体験しないように回避して危険から身を守るために、水を怖がるというプログラムが創られる。

ボタン恐怖症や料理恐怖症など一見恐怖症には見えないものでも、当事者のトラウマなどに起因して引き起こされることがある。

水恐怖症は五感を通してプログラムされましたが
言葉だけでプログラムが行われるケースもあります。

心理的暴力を指し、 口の暴力とも言われ、精神的暴力の一つであり、いじめやハラスメントの手段の一つとなる場合もある。

人間関係にまつわる恐怖症の発端となりやすい、言葉の暴力は、対面して直接言われなくても、間接的に他人を介する噂話や
SNS等を通じて文字を介した言葉によるいじめなど様々なケースで起こる。

直接言われない噂話やSNS等など匿名での投稿は相手が見えないケースが多くあり、不要な不信感を持ちやすく
精神的なダメージを長期間にわたって受けやすい。

自分にも犬恐怖症があったのですが、家で飼っていてとても可愛がっていた犬が餌を食べている時に頭をなでようとして
手をかまれた時があり、小学校低学年の頃だったのですが大人になっても犬が可愛いので頭をなでたいと思うのですが
手がすくんで子犬でも頭をなでることが出来なかった時期がありました。

生まれたときにはまっさらだった状態から、成長と共に様々な体験と感情などにより実に多種多様なプログラムを
数多く身につけて自分を守ろうとしているのです。

セルフイメージ・自己イメージの最大の制限とは?

セルフイメージ・自己イメージの最大の制限とは、生存するための防衛本能の一種である、「ネガティビティ・バイアス」が

意識脳で刺激(入力)五感や言葉を通しての体験が起こり
無意識脳(出力)で過去の記憶の再生・感情の反応等が起こり

無意識脳にプログラム化されたものであるのかもしれません。

反応とその反対が最大の制限を外すために必要

ここまで 最大の制限について書いてきしたが
改めて、なぜ 最大の制限について知ることは大切なのか?
について、少し考えてみたいと思います。

最大の制限を知ることで、最大の制限を外すことが出来るようになるかもしれない

セルフイメージ・自己イメージの
制限を外すための具体的な手段・方法を見つける

これが最大の制限を知ることの目標です。

最大の制限を知ることで、その制限を外し 最高の力を自由に使うことが出来るようになる
これが目的です。目的の最終ゴールですね。

最大の制限を知ることはその制限を外すための手段・方法であり
その手段・方法を使って、最終ゴールである
最高の力を自由に使うことができるようになることを
ここでは目指していきます。

順を追って段階的に説明していきます。

反応とその反対

反応とは、刺激(周囲の影響)を受けて
行動しているということ。

反応的な人は、自ら(感情、行動)をコントロールできないため、

人間関係もうまくいかず、ストレスによりフラストレーションが溜まり、

最大の制限の影響をモロに受け、本来持っている最高の力を発揮することができずに

残念な結果を招く制限された状態・状況の中で生きているわけです。

過去の原因(体験・記憶)に対して、反応している結果というものです。

考えていることの95%は毎日毎日同じ事を考えている反応(無意識に)しているだけの
生活です。

自分の中の過去の経験・概念・他人・社会や環境に影響され(無意識に)反応している。
ただ毎日 同じことを意識せずに繰り返しているだけ。

受動的な人生であるとも言えます。

反応的な人は、コントロールできないために、

感情的(すぐ)に反応してしまい、後々後悔してしまうようなことも起きます。

主体的な人は、

未来に起こり得る状況も含め、まず目的を考え、

その時のベストな目標を設定し具体的な手段・方法を見つけて、行動します。

主体的とは、自分の意志・判断によって行動ができること。

今までやってきたことが効果的ではないからやめる、と判断することも主体的な
行動の一つ。

反応的な人と主体的な人を分け隔てているものは

反応の反対、それは「選択の自由」です。

反応的な人は「選択の自由」ができない、

主体的な人は「選択の自由」ができる

この違いです。

反応的な人は、過去のプログラムの自動再生
反応的とは、自分の意志・判断によって行動できない。

毎日のやっていることが自分の夢や目標に効果があるかどうかを考えることなしに
自動的にプログラムが再生されるがままに生活しているということ。
(分かりやすくするために少し極端に表現しています)

主体的な人は、刺激と反応の間に、「選択の自由」という
ワンクッションを持っています。

刺激→反応するのではなく、刺激→選択の自由→反応という流れです。

動物のような刺激→反応ではなく
「選択の自由」こそが人間が自分自身の人生を創造することを可能とする
最高の力を持つ存在なのです。

反応と自由そして責任

既に プログラムされた刺激→反応→結果 無意識な95%毎日が同じことを考えている人生を送ったとしても
そうではなく、刺激→選択の自由を行使→反応→結果

刺激に対して反応するにしても、自由に選択をし直すにしても

反応・自由の選択のどちらの責任も 自分にある。

自分自身の人生に責任をとれるのは 自分しかいないというか
自分以外に自分の人生を生きている人はいないのだから
責任もなにもないのだけれども

選んだとしても選ばなかった(反応)としても どちらも自分の人生であることに違いはない

だけれども、選んだつもりがなく 単なる刺激に対しての反応するだけの
人生が 自分にとって好ましい人生であるのであれば それはそれで良いのであるが

自分で選んだ結果であるのであれば
例え その結果が思い通りの結果でないとしても
選んだこと自体には 後悔は少ないはずだ

なぜなら 自分で選んだ結果の失敗よりも
選ばなかった後悔を人は圧倒的に抱きやすいからだ。

人生の終末期に やった後悔はほぼないのにもかかわらず
やらなかったことへの後悔ばかりが際立つことからも
やらないことが人生最後の心残りになるのは 間違いない。

その内と思っているうちに やり直しがきかない時がくるかもしれない

人生最期の日の未来のあなたより

では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。
終末期医療の専門家である著者(大津秀一氏)が、
1000人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。

死ぬときに後悔すること25より抜粋

1 健康を大切にしなかったこと
5 自分のやりたいことをやらなかったこと
6 夢をかなえられなかったこと
9 他人に優しくなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと
17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

コーネル大学のトマス・ギロヴィチの後悔の心理についての研究

後悔の75%はしなかったことに対する後悔であり
上位三項目は
①学校でまじめに勉強をしなかったこと
②大事なチャンスをものにしなかったこと
③友人や家族を大切にしなかったこと

であった。

ボストン大学の心理学者であるアベンドロスらの報告

「旅行先で、あるお土産を買うかどうかで迷ったことのある人」にたいして調査したところ、
「買わなかった…」という後悔を抱く人の方が、ずっとずっと強かったと報告している。

これは 自分も同感でamazonがなかった時代、本屋で見つけた本は 後で買おうと思っても
買われてなかったり、返本されたりしてないことが多々あったので、出会った本はすべて買って
買わない後悔をしないようにしていた。本との出会いはまさに一期一会そんな時代でした。
このため、4万冊以上もの本を買うことになってしまったのだが・・・・。
今はamazonがあるから後で買うという選択肢があるので良い時代になったものです。

してしまったことを悔やむより、したかったのにしなかったことのほうが、悔やみが大きい
ユダヤの格言

やったことは、例え失敗しても、20年後には、笑い話にできる。しかし、やらなかったことは、20年後には、後悔するだけだ。
マーク・トウェイン

やってしまった後悔はだんだん小さくなるけど、やらなかった後悔はだんだん大きくなる
林真理子

・・・・・
やりたいことをやらないでいると
自分が本当は何をやりたいのかわからなくなるし
昔 やりたかったことすら 思い出せなくなったりする

つまり、やりたいとは特におもわないけれども
やりたいとも思わないことを 毎日やっているということ
なのかもしれない。
・・・・・・

どうしようかと迷ったときは、目をつぶってやることだ。
やらずに後悔するよりも、やって後悔するほうがいい。
五木寛之

明日

死ぬと思って生きなさい

永遠に生きると思って学びなさい

幸せとは

あなたが考えることと

あなたが言うことと

あなたがすることの

調和が取れている状態である …

重要なのは行為そのものであって

結果ではない

行為が実を結ぶかどうかは

自分ではどうなるものではなく

生きているうちにわかるとも限らない

だが

正しいと信じることを行いなさい

結果がどう出るにせよ

何もしなければ

何の結果もないのだ
マハトマ・ガンディー

選択の自由をなぜ 使うことが出来ないのか?

主体的な人は 刺激に対して反応の前に選択の自由を使っていると書きました。

では、反応の前の選択の自由とは何でしょうか?

何を選択しているのでしょうか?

実は、このことに関しては
有料以上の無料音声セミナー
『~誰も話せない引き寄せの法則~』
全4回(合計155分)
ステップ2の釈迦の引き寄せ
の中で 詳しく説明しています。
→ここで説明しています→ ■現実の世界を変える方法□あなたに自由はない。

http://beinnovation.biz/lp1/17-2/

なぜ、現実は人によってまったく違ったものに映るのか?

同じ場所、同じものを見ているはずなの人によって受ける印象や見え方はそれぞれに異なります。

なぜ、現実は人によってまったく違ったものに映るのか?

それは、人が現実を捉える時には、その人が持っている固有のプログラムの設定を必ず通るからなんです。

意識脳には限界があって、全ての情報を把握し、取り入れることは到底できません。

つまり、私たちが「現実」って呼んでいるものは、その人 固有の「現実」であってそもそも人によって全然違っているということ。

人が見ている世界は、意識される前に既に取拾選択されている

視覚情報や、聴覚情報(触覚、味覚、嗅覚)やなどの五感情報は
全身から脳に毎秒1100万もの情報を環境から受け取っているが、
処理できるのは毎秒40ビットにすぎない。

これは全体の情報量の僅かに0,0001%に満たない微量な情報量にしか過ぎない。

ほぼ99,9999% 取拾選択されれているとするなら
別の表現で言うと、0,0001%しか情報を拾っていないということになります。

つまり、99,9999%の情報をほかの人が拾っている可能性があるということでもあるのです。

人によってまったく違った情報を受け取っている「現実」が人の数だけあると考えるのが妥当なのでは?
と考えてほぼ間違いではないでしょう。

こういったことから、現実にあるものをフラットな視点で見ることは 不可能と言えます。

見たり聞いたりして、ふれている世界は実際の情報の1%以下しか受け取っていないだなんて
ちょっと衝撃ですよね。
他の99%は拾えていない、理解していないということになるわけですから。

でも、このことの理解が深まると、受け取り方は人によって千差万別、違って当たり前だという理解にぶち当たります。
理解させるための努力は理解してもらいたい側がするものだぐらいに考えたほうが良いということでもあります。

そして、私たちが目の前にしている現実でさえ
99%以上見えていないし聞こえていない
理解していないのであれば

見えていないし、聞こえていない認識できていない
世界が目の前にはまだまだあるということでもあるのです。
それってもしかしたら、物凄い 可能性でもあるかもしれませんよ!
マジで。

私たちが現実と
思っている世界は、0,0001%未満のプログラムの設定から「選択され」「知覚された世界」
この超限定的に制限された知覚情報を、私たちが現実と思っているというの実情です。

人は見ているところに行く

観ている(フォーカスしている)ものにやがてなる

何にフォーカスするかによって、現実をどう認識しているかが決まってきます。
もちろん、フォーカスとはプログラムの設定の条件でもあるので種々ありますが・・・。

つまり、フォーカスしているつもりでも、そのフォーカス自体の情報が既にプログラムで設定されている
条件の範囲でしかフォーカスできないという意味でもあります。

この設定の範囲は、コンフォートゾーンとほぼ同じであるとも言えます。

環境から受け取る情報に対して、人間の脳が処理できる量はわずかです。

そして、その情報がどのように人に処理されるのかは、その人が 何にフォーカスしているか左右されています。

同じ場所にいて同じことを見ていたとしても、人によって捉え方や感じ方がまったく違うのは、
0,0001%未満のプログラムの設定から「選択され」「知覚され」あとの世界を観ているからです。

ユーザーイリュージョン

と言う概念があります。

私たちの意識は何をどうやって認識しているのかについての概念です。

意識について確定された理論はまだ確立されていません。
複数の仮説があり、その中でも説得力を持っている概念がユーザーイリュージョンです。

ユーザーイリュージョンの概念はとても難しいのですが
この概念の提唱者のノーレットランダーシュについて書かれた文章を引用します。
かなり、長文で難解な部分もあるかもしれませんが、後々 重要となる部分も出てくるので
理解できなくても、飛ばさずにお読みください。

・・・・・・ここから抜粋 引用  松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1509.html

「意識が私たちに示す感覚データは、すでに大幅に処理されている」。ところが「意識はそうとは教えてくれない」。

意識はそんなこと、知っちゃいないのだ。では意識はどうなっているかといえば、
「意識が示すものは生(なま)のデータのように思えるが、実はコンテクストというカプセルに包まれている」。

「そのカプセルがなければ、私たちの経験はまったく別物になる」。
つまり、「意識の内容は、人がそれを経験する前にすでに処理され、
削除され、あるコンテクストの中におかれている」だけなのだ。
「意識的経験」というものはあるが、それは、そもそも「すでに、あるコンテクストの中におかれている」という、
そういう根本的な「深さをもっている」ところで動いているにすぎないのである。

もちろん、脳においては「たくさんの情報が処理済みではある」。

けれども「その情報が私たちに示されることはない」。
「意識的自覚がおこる前に、膨大な量の感覚情報が捨てられる」からである。
しかし「その捨てられた情報は示されない」。

だが実は、おそらく「経験そのものは、この捨てられた情報にこそもとづいている」はずなのだ。
考えてみてほしい。「私たちは感覚を経験するが、その感覚が解釈され、処理されたものだということは、経験しない」。

すなわち「物事を経験するときに、アタマの中でなされる膨大な量の仕事は経験しない」のだ。

しかし「ほんとうは、感覚は、体験された感覚データに深さを与える処理がなされた結果」なのである。
いいかえれば「意識は深さ」なのである。ところが私たちはそれを「表層として体験する」というふうにしか経験できない。

ノーレットランダーシュの見方によると、
「意識は、世界に対する大幅に異なる二つのアプローチを結びつけるというトリックをやってのけている」。

二つのアプローチとは、一方は「外界から感じる刺激にまつわるアプローチ」というもので、
もう一方は「そういう体験を説明するためにもつイメージに関するもの」である。

「人は生の感覚データを経験するわけではない。

光の波長計を見るのでははなく、多彩な色を見る。ニュースキャスターの声は」
キャスターの口から聞こえてくるのではなく、「テレビから聞こえる」。

「キスをされたとき、蚊に刺されたのかもしれないとは思わない」。

私たちは「そういう色やニュースキャスターの声やキスを、
いまここでおきているかのように経験する。あたかも自分が体験している通りのものであるかのように、経験する」。

だが実は「それらはシミュレーションの結果なのだ」。

「人が体験するのは、生の感覚データではなく、そのシミュレーション」なのである。
つまりは「感覚体験のシミュレーションとは、現実についての仮説」にすぎないのである。

「このシミュレーションを人は体験している」。「物事自体を体験しているのではない。
物事を感知はするが、その感覚は経験しない。その感覚のシミュレーションを体験するのだ」。

このことは何を意味するのか。「非常に意味深長な事柄を」示している。人が直接体験するのは錯覚(イリュージョン)であり、
錯覚は解釈されたデータをまるで生データであるかのように示す」のである。

だとすれば、「この錯覚こそが意識の核であり、意味のある形で経験される世界なのである」。

れゆえ「感知するもののごく一部、すなわちそのコンテクスト(文脈)で意味するものだけを経験する」ようにした。

それなら、なぜ私たちには「経験するデータが処理済みであること、そしてほんの少しの情報が示される前に、
膨大な量の情報が捨てられていることが、わからないのだろうか」。

またまたなかなかの難問だが、こう、推理できる。

「この深さに達するには時間がかかるが」、「そのあいだになされる途方もない量の計算は、
この世界における私たちの行動に関係がない」からだというふうに。

私たちは「結びつけ問題」を解決しないでは、「何も経験できない」からであろうというふうに。

これについてはちょっとした証拠もある。「ベンジャミン・リベットは、感覚器官から脳につながる特殊系の神経線維が、感覚の時間調整を許していることを実証した」。
「非特殊系の神経線維が0・5秒の活動をおこし、その結果、経験されうるようになるまで、その感覚は経験されない」ということを、突き止めたのである。

もしこの「0・5秒がなかったら、私たちは現実の認識に乱れを経験する」にちがいない。
おそらく「意識は、周囲の世界について、意味あるイメージを示さなくてはならないので」、どうしても「遅れてしまう」のだ。

それでも「示されるイメージは、まさにその周囲の世界のイメージなのである」。

それはしかし「脳によってなされる仕事のイメージではない」とも言わなければならない。
私たちにおいては、事態はたしかに「感知、シミュレーション、経験の順におこる」。
けれども、この途中の「シミュレーションのところ」は「経験から外される」。
こうして「私たちは、編集された感覚を未編集のものとして体験する」わけなのである。

・・・・・ここまで抜粋 引用  松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1509.html

探し物は何ですか?

そもそも、フォーカスしていないものは認識すら出来ない。

認識できないとは意識に上がってこないということ。
そこにあっても気がつかないということです。

これは、探し物をしているときに良く経験すると思います。

同じところを何回も何回も 時間をかけて探したのに
探すのを諦めた時に、ふと 見つけたら・・・何度も探したはずの所にあったとか。

これは 『ない』にフォーカスしているから目の前にあるのに気が付かない

>意識脳で刺激(入力)五感や言葉を通しての体験が起こり
>無意識脳(出力)で過去の記憶の再生・感情の反応等が起こります。

『ない』『ない』と思いながら言葉でつぶやいて探すと見つかりません。

脳が無い状態にフォーカスしているからです。

『ない』ものを見つけることが出来るわけがない

これは、なにも探し物に限ったことではありません。

やってみたいことはあるけれど、それをするだけのお金がない。
やりたいのに、それをする時間がない。
それをするほど、もう若くはない などなど。

『ない』ことを前提にしてしまうと
あるはずの最高の力を使うことはできません。

『ない』のではなく
『ある』はずという前提で探すから見つかるのです。

ないものばかりにフォーカスしながら、それを『ある』に実現させることは
『最高の力』をもってしても無理なお話です。

さて、今回の説明で、『最大の制限』についての理解と解除する方法が
少しづつ見えてきたのではないでしょうか?

まだ、見えてきていないのであれば
何回かこれまでの文章を読み返して ぜひ 『最大の制限』についての理解と解除する方法が
少しづつ見えてくるまで 読み直してみてください。

それだけの価値は必ずありますから。

科学誌ネイチャーに掲載 観測されるまで現実は存在しないことを量子実験が確認

https://gadgets.ndtv.com/science/news/quantum-experiment-confirms-reality-doesnt-exist-until-measured-698868
オーストラリアの科学者たちが、量子物理学での予測を証明するための有名なある実験を行い、その実験は成功した。

その予測とは「観測されるまで、現実は存在しない」というものだ。

オーストラリア国立大学( ANU )の物理学者たちは、ジョン・ホイーラーの遅延選択思考実験と呼ばれる実験を行った。それは粒子のように動く、あるいは、波動のように動く選択権を与えられている移動物体に関しての実験だ。

ホイーラーの実験は、その後、どの時点で物体が「それが波動か粒子か」を決定しているのかを問う。

常識的には、私たちがそれを観測する方法がどのようなものであろうと、その物体が波動のようなものか、粒子のようなものかということは、それぞれ最初から物体として独立していて、測定法と、その物体が何かということは無関係だといえる。

ところが、量子物理学者たちは、あなたたちが、その物体を波動の挙動(干渉)、として観測するか、あるいは、粒子の挙動(無干渉)として観測するかによって、その最終的な実際の観測記録が違ってくると予測してきた。

そして、この予測について、オーストラリア国立大学のチームが実験で証明することに成功したのだ。

この実験の結果は、非常に小さなものに支配されているとする量子理論の妥当性を確認することになる。そして、この理論は、 LED 、レーザーおよびコンピュータチップ等の多くのテクノロジーの開発を可能にしてきたと研究者たちは言う。

オーストラリア国立大学のチームが成功した今回の実験は、ホイーラーがこの実験を提唱した 1978年には、実験を行うことがほぼ不可能と思われていた。

トラスコット准教授のチームの実験は、最初に「ボース=アインシュタイン凝縮」として知られる停止状態の中で、ヘリウム原子の集合体によって物体が補足され、それらは、最後の単一の原子が残るまで排出された。

単一の原子は、その後、対向伝搬レーザー光を介して落下した。これは、固体の格子が光を散乱するのと同じ方法での格子パターンを形成した。

その軌跡を再結合するために第二の光格子をランダムに加えると、これは、建設的に、あるいは、破壊的な干渉へとつながった。

第二の光格子が加えられなかった場合には、干渉は観察されなかった。それは、あたかも、原子が一つの軌跡のみを選択したかのようだった。しかし、原子が交差点を通過した後、格子が追加されたかどうかを決定する唯一の乱数が生成されたのだ。

トラスコット准教授は、「原子は特定の軌跡を取り、あるいは、将来の記録が原子の軌跡に影響を与えることを受け入れた、ということになります」と語る。

「原子は、AからBへと旅をしたのではないのです。彼らは、その旅の最後に、それらが波動か、あるいは粒子か、どちらかの振る舞いが観測された時に、初めて彼らに、それが波動か、あるいは粒子かという存在がもたらされたのです」と准教授は述べた。

この実験結果は、科学誌ネイチャーに掲載されています。

https://www.nature.com/articles/nphys3343

かなりざっくりと説明すると、原子は、観測された結果があった時に、はじめてその物質の特性が決まる

ということは、物質は「観測されるまでは特性がない(つまり、存在しない)」ということになることを、この実験は導いたようです。

スピ業界でもこの実験結果を取りあげて、「解釈が違う。」、「そのようなことは証明されていない。」と、さまざまなサイト、ブログで批判されていたので知っている方も多いかと思います。

しかし、実験結果に対し、オーストラリア国立大学のサイトに、ANUの物理・工学研究院の Andrew Truscott准教授は、
「測定がすべてであることを証明している。量子レベルでは、あなたがそれを見ていなければ現実は存在しない」と語った。

誰も見ていないとき月はどこにいるのか。夜、空を見上げると、月が輝いています。では、あなたが月を見てなかったとしたら、その時、月はどこにあったか?

有限な存在が認識によって存在するというのであれば
「月を認識していない貴方」の認識する世界に月は存在していなかったとしても間違いではありません。

ただし、「月を認識していた誰か」の認識する世界には月が存在したことになります。

アインシュタインが量子論の解釈問題につきつけた、「月は観測しないとないのか?」に対する答えは
「月は観測できるからある。」です。

実在してるから観測できるということです。

逆に実在してないものごと、もしくは未発見のものごとは、観測できません。

「量子として実在してる。」のであって、その粒子性、波動性のどちらが現れるかは、その実在の問題ではないということです。

脳の限界?いや可能性かも?

イグノーベル賞を受賞されたChristpher Chabris氏とDaniel Simons氏の認知心理学的な実験をご存知でしょうか?

まだご存じない人は是非、下の動画を見てください。30秒ほどで終わります。
この動画の中で、2つのチームのうち白い服のチームが何回ボールをパスをしたのかを数えてみてください。ではどうぞ。

 

正解は15回です。正解した方おめでとうございます。

残念ながらこの動画はそこが問題ではないのです。

実はこの動画「人間が集中をすると、どのくらいそれ以外のことに集中できなくなるのか?」ということを実験したもの。

皆さんは動画の途中で、ゴリラの着ぐるみが通り過ぎるのをおわかりになったでしょうか?

なんとこの実験、およそ半数の人がゴリラに気づかないのだそう。

私も初めてこの動画を見たときは気が付きませんでした。

白い服のチームが何回ボールをパスをしたのかを数えることに集中していたとはいえ
視界には入っているはずのものが認識できていないのです。

※ハーバード大大学院「危機管理」のクラスにおいて
CIAから10人、FBIから数名、赤十字など、米国を代表する危機管理専門家40名が集結。
「見えないゴリラ(すでに紹介済みのYouTube 参照)」という有名な研究を、少し難しくしたものだったのだが
1人が「何かがそこを通った気がする」と答えたものの、CIAを含む39人は誰も気付かない。それからもう一度ビデオを見せられた。すると1人の女性が幽霊のようにスーッとパスを回す若者の間を通り抜けるではないか?
2回同じビオをみてCIAを含む39人は誰も気付かなかった。

「人は何かに意識を集中していると、予期せぬことが起こったとき、たとえそれが目の前にあっても、これに気付かない。

先入観が強いと、他の可能性は無視される

意識脳が意図的に情報を削除して現実を見ていることが
わかる動画ですね。

次の画像は 私が大好きな画像です。

家族が共有するノートパソコンのフォルダに大事に保存してあった
誤解されるような画像ですが・・・・いつか仕事で使おうっと思って
いたお宝画像です。
家族がそのフォルダを見たかどうか謎ですが。

健全な男性の99.9%は気が付かない画像です。

いかがですか?

美味しそうですね。

えっ何がおいしそうかって?

笑)

何か この画像におかしなものが写っていることに気が付きませんでしたか?

気が付かれた方 特に男性で気が付かれた方は不健全?な方である意味 すごい。

女性の方も あまり気が付く人はいないのではないでしょうか?

左上のドーナツの中に かわいいハムスターが・・・・

思わず 二度見しちゃう 人間の心理をうまく突いた画像で
私は大好きな画像です。

2つの動画と画像からわかることは
人間って 思い込みによって 見えるはずのものが目に入らない
見えなくなるということ。

そして、意識してみようと思うと、見えるようになる。
そして、見えるようになると もう見えない状態には戻れない

ゴリラもハムスターも二回目からは見えるようになる
つまり、見えない状態には戻れないのです。

そう これが プログラムの正体です。

これは認知のプロセスでもあります。

認知とは認めて→知る

認めないものは知りえない
認知できないということ。

違う言葉だとわかりやすいかも
認識する→認めて→識るという プロセス

詰まるところ、認知のプロセスとは
思い込みによって生じているとも言えます。

なぜなら、何かを認識するとは 何かを削除したり省略したりする事で
残ったものから知るというプロセスが始まるからです。

ここが思い込みの発生元であり思い込みの原因の部分です。

何を省略して削除するかは脳のプログラムの設定で決まる

動画でもはなしているのも
ある認知バイアスについてです。

【自信過剰な人が 周りを不幸にする】Energy share vol27 幸せになりたいならやらない方が良いシリーズ7個目


ダニング=クルーガー効果

につてい話している動画でしたね。

自分を過大評価しているから、能力が低いのではありません。
能力が低いから、自己評価ができないだけです。

能力の低い人は、単に未知なだけです。
自分を未だに知らないから未知だということです。

もう1つの認知バイアスについても動画があります。

実話【思いこみ・レッテルという 評価が現実を変える証拠】Energy share vol19

確証バイアス

人は誰でも『欠陥のある刑事』になる可能性があり、バイアスのない証拠を集めるのは容易ではない
法心理学者ピーター・ファン・コッペン

「見たいものを、見つけようとする」から起こるのが確証バイアスです。

冤罪が起こるのは 犯人を見つけたいから 犯人ではない人を
犯人に仕立て上げてしまうことによって起こります。

これは日常的に誰もが普通に行っていることなんです。

犯人捜しをすると、そこに本当の犯人がいなくても、いる人の中から
犯人が仕立て上げられます。

人間の脳は、情報が見つからなければ、その隙間を埋めようとします。
私の教材をとっている人は理解できると思いますが
脳は空白を埋めるというやつですね。

材料がなければ架空のものであっても勝手に材料を作って
無理やり ないことまでまるであることのようにストーリーを
勝手に作ったりしていしまいます。

妄想とか空想なども その一種ですね。
じゃあこれが イメージならどうなのか?
ここが大事な分かれ目です。

この認知バイアスを脳の限界と見るのか?

それとも 可能性とみるのかで真逆の結果が生じるかもしれません。

認知バイアスは脳の限界ではない

>「見たいものを、見つけようとする」から起こるのが確証バイアス

>人は誰でも『欠陥のある刑事』になる可能性があり、バイアスのない証拠を集めるのは容易ではない
>法心理学者ピーター・ファン・コッペン

「見たいものを、見つけようとする」

バイアスのない証拠を集めるのは容易ではない
という確証バイアスは 夢や願望をかなえるのに使える
というか、使っている

そう、夢や願望を叶えている人たちは 無意識にしろ
意識して意図的に使っているにしろ(非常に極々稀であるだろうが)
確証バイアスを使っている。

自分の先入観や思い込みだけではなく、新たに入ってくる情報も、無意識&意識的に自分の先入観や思い込みを
正しいものにする情報だけを拾っていくという

そうまさに脳のプログラムの設定を確証バイアスにって更に強化しているわけだ。

こういう使い方をする限りにおいて、認知バイアスは脳の限界ではない
むしろ、自分自身の可能性を広げさえする

これって、脳の最大の制限を使って 夢や願望を叶えてるわけですから
良い使い方のお手本的な使い方ですよね。

ところで、「見たいものを、見つけようとする」見たいものとは何なのか?
と気になった方は 頭が良いです。

そう 見たいものとは まだ 自分的には 夢や願望の中にあるもの
まだ見ていないもの  イメージとか言われるも当然含まれます。

イメージというと視覚的なものと考えている方が多いと思いますが

五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)等の体感覚全体やその一部分を
イメージに含めて使うと実際の無意識にプログラムされている
状態に近いと思います。

何によってプログラムはできているのか?で書きましたが

>刺激(入力)五感や言葉を通しての体験

>反応(出力)感情と過去の記憶

>意識脳で刺激(入力)五感や言葉を通しての体験が起こり

>無意識脳(出力)で過去の記憶の再生・感情の反応等が起こる

>意識脳で刺激(入力)五感や言葉を通しての体験が起こり
>無意識脳(出力)で過去の記憶の再生・感情の反応等が起こり

>無意識脳にプログラム化されたもの

そして、
>人は見ているところに行く
でも書いた

ユーザーイリュージョン と言う概念

ちょっと長いですが
再度 引用

>「私たちは感覚を経験するが、その感覚が解釈され、処理されたものだということは、経験しない」。

>すなわち「物事を経験するときに、アタマの中でなされる膨大な量の仕事は経験しない」のだ。

>しかし「ほんとうは、感覚は、体験された感覚データに深さを与える処理がなされた結果」なのである。
>いいかえれば「意識は深さ」なのである。ところが私たちはそれを「表層として体験する」というふうにしか経験できない。

>ノーレットランダーシュの見方によると、
>「意識は、世界に対する大幅に異なる二つのアプローチを結びつけるというトリックをやってのけている」。

>二つのアプローチとは、一方は「外界から感じる刺激にまつわるアプローチ」というもので、
>もう一方は「そういう体験を説明するためにもつイメージに関するもの」である。

>「人は生の感覚データを経験するわけではない。

いいですか、

「人は生の感覚データを経験するわけではない。
のです。

イメージを再利用してあたかも、その時 リアルタイムに経験している錯覚
まあ ここではトリックという表現を使っていますが
そういうちょんぼを脳は平然とやってのけるんです。

なぜなら、脳はやることがたくさんあり、いちいち 生のデータをそのまま
使ったりして無駄にエネルギーを使わないような省略モードが働くからです。

神経科学者のスザーナ・エルクラーノ=アウゼルによると

特別なのは人の脳が 使うエネルギー量です また特別なのは人の脳が 使うエネルギー量です 人の脳の重さは体重の 2%しかないのですが 人が1日に要するエネルギーの 25%を消費します 人が1日に要するエネルギーの 25%を消費します それは2千カロリーの内の 5百カロリーです ただ脳を働かせるだけで それほど使います 人の脳は体の割には大きく エネルギーは驚く程消費する

のだそうです。

そのため、
>「人は生の感覚データを経験するわけではない。
つまり、過去のイメージ・記憶を瞬時に引っ張り出して
あたかも目の前でリアルタイムにおこっているかのようなトリックをやってのけるんです。

人間の脳はコンピューターと違い、記憶に関しては
かなりアバウトなんです。

脳はアバウトというよりも嘘やデタラメ、間違いや修正を勝手に行います。

例えば

記憶のゆがみというもの。
2002年の研究で、脳が記憶を呼び起こすたびに、その記憶がさらにゆがむことがわかった。人々は正確なオリジナルの記憶ではなく、改変した記憶を思い出すようになる。

他にも沢山 あります。

ここから

記憶の心理学

記憶とは?記憶の仕組み・物忘れ・デジャブ・思い出作り
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/kioku.html

記憶の錯覚
・デジャブー
初めての経験なのに、前にも同じことが会ったような気がする。考えれば考えるほど、確信が深まる。これをデジャブー(既視感)といいます。お話し好きの人は、生まれ変わりだとか、タイムスリップだとか、いろいろ想像力を発揮したいところでしょうが、心理学的には、記憶の錯覚です。

以前経験したはずなのに、全く記憶に残っていないことはよくありますよ。デジャブーは、その反対です。とはいっても、デジャブーって、やっぱり不思議な感覚ですよね。

・作られた記憶
金星人にさらわれて宇宙を旅したという記憶を持っている人がいます。しかし、記憶にあるからといって事実とは限りません。記憶の中だけでストーリーが出来上がってしまうことがあります。日本の女性芸能人の中にも、自分は火星人に誘拐されたことがあると言っている人がいます。嘘でも冗談でもなく、本人は本気のようです。

アメリカのある心理学者は、記憶研究のために、「エイリアンに誘拐されたことがある人求む」と新聞広告を出した。集まった人たちは、ゴク普通の人たちだったそうです。宇宙人に誘拐されたことがあるという奇妙な記憶を除けばですが。(詳細は『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか (ハヤカワ文庫) 』)

アメリカでは作られた記憶がもとで、裁判になった事例もあります。。ある女性が心理療法を受けているうちに、むかし父親にレイプされ、2度も人工中絶を受けていたことを「思い出し」ました。ところが、医者が診察してみると、彼女は男性経験はなく、もちろん妊娠などしたことはありませんでした。

自分の願いや不安、イメージ、人からの誘導質問や暗示などによって、記憶が作られてしまうことがあるのです。裁判の証人の記憶にも、その危険性があります。裁判員制度がはじめる日本でも、大切なテーマでしょう。(BOOKS『嘘をつく記憶―目撃・自白・証言のメカニズム (講談社選書) 』『証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)』)

(シュワルツネッガーが主演した映画「トータルリコール」は、作られた記憶が大きなテーマでした。リコールは、心理学用語では、記憶の再生という意味です。)

記憶の心理学
記憶とは?記憶の仕組み・物忘れ・デジャブ・思い出作り
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/kioku.html
ここまで

本当はまだまだ他にもあるんですが
この辺でやめときます。

記憶なんてあてにならないですよね?

人間の思い込みも 現実と区別ができなくなるぐらい
かなりいい加減
です

だからこそ、このいい加減な脳の思い込みや記憶のメカニズムを使って
夢や願望が叶ったりするんです。

記憶=イメージ

記憶=夢・願望=イメージ
も当然ありです。

寝てみる夢もリアルな時もあるし
起きてみる夢もリアルであれば脳は現実と区別しないですから。

脳は イメージが過去の記憶であろうが現実であろうが識別できないのですから。未来の記憶も当然 アリです

もう なんでもアリじゃんという感じもしないでもないですが
それぐらい 融通が利くというか
柔軟性があるというか、臨機応変というか
万能な感じがするのは 私だけでしょうか?

脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す仕組み

記憶がいかにいい加減で 勝手に捏造?されているかわかり
現実と言われているものも実際は0,0001%未満のプログラムの設定から「選択され」「知覚され」あとの世界を観ているという
これまでの説明からもわかる通り、私たちが認識している現実や記憶もかなりいい加減でアバウトなものであることが理解できたかと思います。

さて、ここでまとめというか、トドメデス。

脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す仕組み

神経科学者のアニル・セスの動画バージョンと文字もあるのでどちから好きなものでご覧ください。

セス氏によれば意識が見ている世界は“幻覚”でもあるという。意識とは「脳が予期したものの総体」、つまり知覚によって取り込まれた情報を用いて脳はさまざまな予測を行い、その数々の予測によって“現実”が形成されていると説明している。そう考えると我々は、自分の脳が見たいものを見て、聞きたい音を聴いていることになる。

「そこにある現象を理解するということは、知覚された情報をもとに脳が予測したものであるか、こうであるはずだという信念に基づく推測のプロセスであると説明できます。脳自体は音を聴くこともできなければ、光を見ることもできませんから」(アニル・セス氏)

現実と思っていた世界は、実は幻覚だった

・・・・・・・・・・・・ワナワナするような内容ですね。

>人は誰でも『欠陥のある刑事』になる可能性があり、バイアスのない証拠を集めるのは容易ではない
>法心理学者ピーター・ファン・コッペン

>「見たいものを、見つけようとする」から起こるのが確証バイアス

この確証バイアスが夢や願望の実現には必要不可欠であり
夢と現実の 階段を埋める 脳の重要な働きを持つものなのです。

脳が空白を埋めようとする作用が、実はこの確証バイアスの働きでもあるのですね。

この確証バイアスは脳のある特定の働きについて機能の1つですが
これについて説明してあるのが
http://beinnovation.biz/lp1/17-2/

メールセミナーでも音声セミナーでも詳しく説明していますから
申し込んでみてくださいね。

自分自身に対しての記憶 セルフ・イメージ

脳は素早い情報処理装置ではない、経験を記憶、再生することで次の出来事を予測する利口な記憶装置なのです.

脳神経学者/PDA (携帯情報端末) の開発者 ジェフ・ホーキンスが新しい脳の見方について説明します。

ワニと人間を比較しています。ワニは獲物の動きを目や鼻や皮膚でとらえ、そろりそろりと近づいてがぶりと襲いかかります。このとき脳は感覚で情報を入力し、それに対して運動で出力する装置です。一方、人間の脳は、大脳新皮質という部位が記憶装置として働きます。物の動き、音、ストーリー、感情の変化、といったもののパターンを記憶して、次に似たような場面に出くわしたときにその記憶を再生しながら「あ、なんかこういう展開知ってる。次はきっとこんなことが起こるぞ」と予測することができる。記憶を再生して予測することこそが人の脳の機能だと言っています。

現実は認識する前に選別され極めて少ない情報を元に作られ、更に、自分の生存にとって必要且つ重要なものしか記憶されず、記憶された情報すらもゆがんだり錯覚したり改ざんされていました。
現実と認識しているものすらも、過去の記憶を元に予測されたものに過ぎないという脳が捉える世界も見てきました。
過去の記憶がそもそもいい加減なのに、そのいい加減な記憶を通して
未来を予測している・・・

なんてことでしょう。

自分の過去や未来の記憶をセルフ・イメージとも言います。

よく使われる言葉ですが、少し今回は使いかたら特殊です。
なぜなら、通常のセルフ・イメージはとても固定されたもののような
印象があるでしょう。

でも、ここまでの文章を読み込まれてきたあなたらセルフ・イメージも世間一般で言われているような固定されたものではないかもしれない?と考える柔軟性が・・・
いや耐性ができてきたのではないでしょうか?

メール&音声セミナー【セルフイメージが現実を100%反映する仕組みと理想の自分になる方法】

1通目【やめたいとおもっているのに、やめられないこと】

2通目【なぜか大切にされる人が持っているセルフ・イメージ】

3通目 【強く願うほどに、努力すればするほど願いは逆に叶わないという法則とは?】

4通目 本題突入【なりたいセルフ・イメージを邪魔する3つのブレーキ】
99%人が一番理解しづらく、気が付きにくいのに一番重要な“概念とは?についてです。

5通目 【99%人が一番理解していないのにとても重要な“概念とは?】

6通目 【夢や願望を叶えるセルフ・イメージはプログラム次第】

7通目【セルフ・イメージが100%現実に反映されている】

8通目 【原因論 フロイト・心屋・ナリVS結果論ロジャース・嫌われる勇気・夜と霧】

9通目【理想のセルフ・イメージを思い描くのは意識、叶えるのは無意識(潜在意識)】

メールセミナーでは
3つの音声セミナーをご紹介します。

1つ目の音声セミナーは

【あなたが気が付いていないあなたを動かす無意識の力】時間は25分02秒

2つ目の音声セミナーは

【過去のセルフ・イメージに負けない未来のセルフ・イメージに必要な事とは?】時間は11分39秒

3つ目の音声セミナーは

【セルフ・イメージと現状のセルフ・イメージのギャップを埋めるための具体的な方法】時間は27分20秒

なお、音声セミナーはメールセミナーの3通目、6通目、9通目の配信となります。

3つの音声セミナーと、10通のメールセミナーを通じて

セルフ・イメージが人生の設計図であることの理解と
具体的な仕組みについて学んでいただきます。

セルフ・イメージを上手に活用するためには、まずはその仕組みをキチンと
正しく理解していただくことが重要です。

なぜなら、使い方を知らないでセルフ・イメージを使いこなすには
簡単ではない代物だからです。

ネットで紹介されているノウハウやコンテンツには
セルフ・イメージの仕組みについてキチンと説明されたものがありません。
書籍や教材等でもさらっと潜在意識について簡単に紹介される程度です。

セルフ・イメージがどのように働くのか?
といった仕組みに関しては、既に分かっているという前提で書かれています。

しかし、99%の人はセルフ・イメージに関して正しい理解をしていないのが
現状です。
正しく理解さえすれば、ある程度 使いこなすことができるのがセルフ・イメージです。
知っていて当たり前、当然であるという前提である、セルフ・イメージである仕組みから
説明するのは、こういった理由からです。

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