少数の無能が大衆を巻き込む悲劇
厳しい生存環境では、出来る限りエネルギーをかけないで狩りをして、次の狩りまで出来る限りエネルギーを消耗しない事が生存するうえで最優先。
楽に出来ることは省エネであり、集団で生きるのが楽である。1人だと獲物が捕れない限り
ずっとゼロなままですが、集団であれば、獲物を皆で獲る、皆で分ける。1人で生きるよりも楽である。集団で居れば生存の可能性を高める事が楽にできる。
江戸時代、他国からの入国をさせないだけではなく、他国に渡ろうとする者は死罪とされました。
鎖国は、異国からの異教徒による布教活動を制限し、幕府に不満を抱く要素を取り除くための措置でした。
組織が存続し安定を図るために、外敵を予め入れない措置をとるのは国単位ではなく
小さな集落でも自然発生的に起こりました。
村という小さなコミュニティでの生存率を高めるためには、協力するということで個よりも生き残る確率を出来る限り高める楽を選択するのは自然発生的な流れです。
持ちつもたれる、お互い様、和の心という日本的な文化として培われてきました。
そのコミュニティの和を乱したものは【村八分】という制裁を受けることになります。
【村八分】は制裁よりも、コミュニティの秩序を保たせるための抑止力としても機能しました。村八分になりたくないという理由で、コミュニティの維持・発展に協力するわけです。
この集団的に生活を共にするというのは、生物的に もDNAにインプットされている
本能であり、所属欲求という欲求として生存するうえで欠かすことが出来ない基本的な本能です。所属欲求は社会的欲求でありながら、先に書いた 楽をして生き残るための必要から生じた生理的な欲求の延長でもあり少し複雑です。
他人の目があることで、村のコミュニティの安定と発展が保たれました。
現代なら【村八分】ならぬ、イジメが学校や職場とういう物理的な空間だけではなく、
SNS上でも行われ、物理的なイジメが場所と時間の制約があり限定的であるのに足して、SNS上のイジメはこの制限がないため、休まる時間がないという闇病みに陥り、心を病むだけではなく、自らの生存本能を超えて、自殺という衝動による悲劇が絶えません。
現代の死に至る病におかされることさえある根深いものです。
少し本題から話がそれたので戻します。
鎖国政策は 近代において列強国からの植民地化を防ぐ要因になっただけではなく
経済的発展の基盤を作ったうえでも重要な意味を持ちます。
鎖国により、日本をあえて井の中の蛙にすることで
江戸時代の人口は世界一となり、日本文化も江戸時代に大きく花開いたのです。
経済発展と人口の相関関係は強力で、経済発展を遂げる国は必ず労働人口が多いという特徴があります。
鎖国により、日本と言う国が島国であり、他国からの侵略にさらされる危険を回避することができたからであり、日本独自の歴史と文化を育むことが出来たともいえなくもないのです。
日本以外の多くの国が列強国に植民地化されたのに、日本はこの難を逃れることができました。
井の中の蛙が悪いのではなく
井の中の蛙 青さを知らずが悪いのです。
井の中の蛙大海を知らずされど空の深さ(青さ)を知る
とは
「狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、その世界の深いところまで知ることができた」という意味です。
江戸時代は、職業選択の自由はなく世襲が原則。
世界一古い皇室は世襲制の元祖のような存在で、それを真似たのか知りませんが。江戸時代も身分社会が固定化され、職業は世襲制でした。
職業は世襲制で選択の自由がないがゆえにその道を極めざるを得なかった。
武士は武士道を極める。商人は商を極める。一昔前は、長男が家の家業を継ぐのがある意味当たりまえみたいな風潮は歌舞伎の世界が世襲制であったのもその名残ですね。
職業選択の自由がないからこそ、先祖代々 技術や伝統が継承され、極めていく事が出来たのかもしれません。
日本に中小企業が大多数を占めるのもこの世襲制度によるものなのかもしれません。
但し、世襲制を敷いている?日本の政治家は 悪巧みだけを極めているようで、国民のためになる政治にうつつを抜かす事を何世代にもわたって怠ってきたようです。
そう考えると、親ガチャと言われるものは、日本古来からのお家芸だったのかもしれません。
江戸時代の鎖国により、硬直しきった幕府は、世界中の技術革新の流れに明らかに取り残されているのは明らかでした。
鎖国をしていたため、外敵に襲われずに、ガラパゴス化した日本は
ペリーの黒船により、開国し、世界中の列強国が新たな植民地を探している中に、突然放り出された幕府は、オオカミ達に囲まれた羊状態になっていました。
世界中の列強国による植民地化の波に飲み込まれないためには、新しい組織を作り、新しい国を作る必要性を感じた若者たちが命を懸けて倒幕を画策し国造り奔走しました。
【真理の錯誤効果】
大国ロシアを倒して、勝利に酔いしれた成功体験を忘れられない軍部と国民が
政府のプロパガンダにより、小国日本が大国アメリカに戦いを挑んだわけですが
そこで働いていたのが【真理の錯誤効果】です。
間違った情報や大げさな情報でも、何度も聞いたりテレビなどで報道されているうちに本当だと考える効果を【真理の錯誤効果】であると、何故 「大衆は、常に間違っている」のか?で書いた通りです。
戦争に反対する事は非国民であり、戦犯です。身近な人たちにより、告発され憲兵隊に連れていかれて、死に至るほどの拷問を受けたりする場合もあるなど、集団を維持する為に、意図的な村八分が行われていました。
平時下では人殺しは犯罪ですが、戦時下では人を殺すと軍神として祀り上げられさえしました。
戦意高揚のため、子どもたちまで軍歌を歌い、本土決戦に備えて竹槍で鬼畜米を倒す訓練が行われていました。
しかし、勝つと信じて疑わなかった大日本帝国は国土を焼き払われた上に2発の原爆を落とされ敗戦国となりました。
人類が初めて経験した「核の恐怖」はその破壊力はもちろん、何十年にもわたって人々を苦しめる深刻な放射能汚染だった。ところが、日本は戦意喪失を恐れ、また米国も国際的な非難を避けようと、大量被ばくの実態を公にしようとしなかった。原子力の隠蔽(いんぺい)体質は「平和利用」と名を変えた60余年後の東京電力福島第1原発事故でも繰り返される事となった。世界で唯一原爆を2つも落とされ、ほかのどの国よりも核の恐ろしさを実体験しているはずの当事者である日本がなぜ「核の恐怖」を2度に渡り隠蔽したのか?
これは、本来であれば利益相反となり、法にさえ触れる行為である筈なのでが
真実を隠すことでそこで得られる利益が莫大であるかれこそ、国民の利益にならないことは
積極的に隠すという
【お金持ちは悪いことしてお金を稼いだ】は経済学では定説
【お金持ちは悪いことしてお金を稼いだ】は経済学では定説
敗戦濃厚な事実を国民に隠し続けた際に軍部が得ていた利益とは、自分たちの無能が故に敗戦という汚名を認める潔さに欠けていたからなのかもしれません。
自分たちの無能さを潔く甘んじていたら、国土が焦土と化すことも原爆を2発落とされたりして多くの犠牲者と被爆者や戦争孤児など出して、悲しい歴史の上塗りなどしなくてもよかったのかもしれません。
これは、個人にも言えることで、負けを認めることが自身の強さに置き換わるというチャンスを放棄している事に気が付いたもん勝ちなのですが・・・・。
この自分の負けを認めるという自己認知は極めて重要であるにのに軽く見られているのはとても残念な現実を生み出す大きな原因になっています。
それは、ジャパンアズナンバーワンというバブルに沸いたバブル世代が抱えた過去の栄光が終わったという現実を認めないがために生じた、失われた30年に連なる
先進国で唯一 人口減少と経済発展ゼロを成し遂げた諸悪の根源なのですから。
これは、大日本帝国が大国ロシアの勝利に酔いしれた軍部と国民が、大国アメリカに挑んだ時と
同じ轍を既に踏んでいるいう現実に目覚めなければならないことを意味しています。何度も日本は過去の成功に酔いしれて完全にガラパゴス化してしまいました。
既に日本は 先進国ですらないのかもしれないという現実を
次も今回の続きで 3で終わりにします。
何故「大衆は、常に間違っている」のか?3 NASAチャレンジャー号爆発事故